元F1ドライバ、ブランドルの見たニッポン(その3)

(=゚ω゚)ノ ども、quzyです。
イングランドの元F1ドライバ、
マーティン・ブランドルの自伝を
勝手に翻訳して紹介しています。
その3まで来ました。(その1その2


では、ブランドルの見た「鈴鹿」その3です。

 鈴鹿は、小さなディズニーランドのようだ。というのも、サーキットの隣には遊園地があって、メーリーゴーランドで聴きなじんだような陽気な音楽が流れているし、ちっちゃな日本の子供たちもたくさんいる。可愛らしさを絵に描いたような場所だ。それは間違いなく、仕事へ向かうにはちょっと普通じゃない通勤ルートだろう。本当にいい気分になる。遊園地を抜けて、道路の下をくぐって、にぎやかな売店のあいだに出る。それは中央のグランドスタンドの真後ろまで続いている。やがてグランドスタンドの正面が見えてくると、ピットの目の前まで急勾配で傾斜していく道がまず目に入ってくるのだ。
 レーストラックは、その開業以来、ごくわずかに変更されただけだ。とりわけドライバーたちにそのコースの性格を伝えるオープニングセクションは、ほとんど変わっていない。スタートラインの前後がちょっとした劇場のような空間になっているのは、その右側をピットレーン、その反対側を観覧車とジェットコースターを背後にもつ巨大なグランドスタンドによって囲まれているからだ。ひとたびピットレーンに立てば、そこにはあきらかに特別なオーラが漂っていて、コースにも同じフィーリングが満たされていることがわかる。
 まるで丘を勢いをつけて下っていくように、闘いの場へとなだれ込んでいくような感覚がある。もちろんスタートの時には、傾斜はちょっとした問題を引き起こす。というのも、進路を確保するために、車の位置を保ちながら、コントロールをしているからだ。その加速していく感覚が、第一コーナーの入り口でコースが狭くなっていることと下りの傾斜によって誇張されている。
 1990年のチャンピオンをかけた争いで、アイルトン・セナがアラン・プロストにわざとぶつけたのが、この第一コーナーだ。セナはポールポジションを獲得していたが、F1を統括する団体であるFIAは、ポールをグリッドの右側に置くように強く主張した。そしてコースの右側は、疑問の余地なく、汚れた側だったのだ。セナはよりグリップを得られるように、レーシングライン上にある左側への変更を要求した。なぜなら、オフィシャルはポールの位置を動かそうとはしなかったので、彼は左側にいるプロストとのスタートの勝負で、不利を被ることになるからだ。セナは彼のライバルを第一コーナへの侵入でコースの外へ押しやることに決めた。そして、彼はワールドチャンピオンになった——これが彼が実際にしたことだ。

ブランドルはなかなか思い入れを持って
鈴鹿を語っているようですよ。
このあと本文は、コースの紹介に入っていくのですが、
わざわざ翻訳してもつまらないかもです。
他の章から、ブランドルの人となりや、
彼の個人的な思い出を語っている部分を、
抜き出して訳していこうかと思ってますよ(=゚ω゚)ノ
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ニコニコ動画のブランドル動画で
いちばん盛り上がってるやつ、
貼っておきます(=゚ω゚)ノ



(=゚ω゚)ノ ついでにフォー速内の関連記事もどうぞですー



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